第四話「ぬいぐるみと少年」

寒い時期のマルフェットのお里は日が落ちるのが早く、デローズ教会の18時のベルの音が聞こえる頃には、綺麗な星空が広がっていた。

カフェを後にしたジャンポールは、エントランスを出て、ワゴンを駐車場の方へ押していた。すっかり暗くなった外では、幻想的に点滅する大きなツリーのイルミネーションが、一層存在感を増していた。

このエトワールホテルのツリーは毎年新しいデザインが披露され、ツリーのあるエントランス広場から教会へ続く道が庭園でつながっており、さらに教会の奥にある、『虹の泉』のあるバラ園もイルミネーションが連動しているため、この3つのイルミネーションの名所を表す総称として、街の人々は『光の街道』と呼んでいる。

ホテルのツリーは毎年点灯式も盛大に行われていて、約8メートルある豪華なツリーは、地元の人にも愛され、泉の観光客も必ず訪れる人気のスポットになっていた。

今年は街のガラス職人が作った、宝石のようなカットが施された、虹色に光るクリスタルのオーナメントが飾られ、その美しい輝きが話題となっている。

ジャンポールは寒さを忘れて、ツリーに見惚れながらゆっくりとワゴンを押していると、後ろから重たそうな荷物を抱えて歩く親子とすれ違った。

父親は大きな荷物で前が見えにくそうに歩き、男の子はその横を寒そうに手をこすりながら歩いている。

ジャンポールは思わずワゴンを押すことを止め、声をかけた。

「こんばんは。お荷物大変そうですね。もし良かったら、このワゴンをお貸ししましょうか?」

親子はジャンポールの声に気づき足を止め、振り向くと、父親は荷物を足元に置いた。

「こんばんは!いやぁ助かります!車まで少しあるので、お言葉に甘えてお借りしても良いですか?」

と言うと、笑顔で白い息を吐いた。

ジャンポールは親子の側までワゴンを押し、乗せていた空の箱を取ると、「どうぞ」と手でジェスチャーをした。

「ありがとうございます!」と男性は弾んだ声で答えた。

ジャンポールはニコッとすると、ワゴンが動かないように持ち手を握った。

イルミネーションの光が男性の眼鏡にキラキラと反射し、瞳がよく見えなかったが、柔らかな声と話し方から、優しい人柄が伝わってきた。男性はパンパンに詰まったリュックや、中のものがはみ出た大きな紙袋をワゴンに乗せ、ジャンポールに向き直ると、小さなため息をついた。

「実はホテルに泊まれるのは今日までで、明日から民泊になるんです。荷物を今日中にと思って、運んでるところでしたが、一気に持ち出しすぎてしまって…助かります!」

と言って照れ笑いを浮かべた。

ジャンポールはにっこり笑いながら、持ち手を男性の方に回し、ワゴンの向きを変えた。

「お役に立ててよかった。この時期ここは人気で泊まるのは難しいようですし、せっかく泊まれたのに、後2日でクリスマスと言うところで、移動しなきゃならないのは残念ですね。」

と言うと、足元に置いた空の箱を器用に潰して手に持ち替えた。男性は回ってきた持ち手を有難そうに握ると、

「いや本当にそうなんです!ここはツリーも食べ物も人気で、直前まで予約できずにいたのですが、たまたまキャンセルが出て、抽選に当たって泊まれたんです!居心地も立地も良いですし、噂以上のホテルでしたよ!」

と笑顔でいうと、ワゴンに載せた荷物を整え始めた。ジャンポールはワゴンの滑車を足で抑え、

「ふふ、ありがとうございます。最高の褒め言葉ですね。友人が聞いたら大喜びしますよ。」

と言って満面の笑みを浮かべた。

男性はジャンポールが何故お礼を言ったのかがわからなかったが、あまりにも嬉しそうなジャンポールに笑顔で返すと、

「少し予算オーバーだったのですが、思い切ってここにして、本当に良かったです!」

と言って荷物を整えようと、紙袋を動かした。そのはずみで、ぬいぐるみらしきものがジャンポールの足元に落ちた。

ジャンポールはそれを拾うと、優しくポンポンと砂を払った。

「あ、ありがとう…。」

と透き通った高い声が聞こえ、声のする方に目をやると、トナカイ柄のネイビーのニット帽を被った少年が、父親の影に隠れ、こちらの様子を恥ずかしそうに伺っていた。ジャンポールはにこっと笑い、ぬいぐるみを差し出した。

「初めまして。ジャンポールと言います。可愛いいぬいぐるみだね。」

と話しかけると、少年は静かにぬいぐるみを受け取り、ギュッと抱きしめながら頷いた。

男性はジャンポールに向き直ると、

「ジャンポールさん、ありがとうございます。すっかり申し遅れてしまいましたが、私はジェームスと言います。こちらには泉の観光できました。さあ、頑張って自己紹介してごらん。」

と言い、少年の肩をポンと触った。

少年は抱いていたぬいぐるみをさらにギュッと抱きしめ、

「僕は…マックス。この子はレジー…。」

と言うと、もじもじしながら再び父親の影に隠れた。

「はは、どうもシャイな子ですみません。」

と言うと、マックスの頭を帽子の上からクシャっとした。ジャンポールはにっこり微笑み、

「マックスくんよろしく。僕も君くらいの時はうまく話せなかったなぁ。その子は猫ちゃんのぬいぐるみかな?レジーちゃん、素敵な名前だね。」

と微笑みながら言うと、マックスは少し嬉しそうに歯に噛んだ。

ジェームスはふうっと白いため息を吐くと、

「実はレジーは実際にいた愛猫の名前なんです。この子が生まれる前から飼っていたのですが、この夏に亡くしまして、私もマックスも参ってしまって、『虹の泉』の絵本を友人がプレゼントしてくれて、その物語の泉があると知って、すがる思いでこちらに来たんです。」

と言い、ぬいぐるみの頭に優しく触れた。

ジェームスの言葉にジャンポールは何度も頷き、胸を手のひらでゆっくりポンポンと叩き、込み上げるものを抑えるように深呼吸をした。ジャンポールはクリスマスツリーを見てから親子に視線を戻すと、

「そうですか、あの絵本を…。お二人とも今は何をしていても、本当にお辛いと思います。実は私も生まれた時からずっと一緒で、兄弟も同然の愛犬を、ちょうどマックスくんと同じくらいの頃に亡くしているので、どんなに辛いかわかるのです。」

と言うと、

「え!ジャンポールさんもですか?そうだったんですね…。こんな偶然があるんですね。こうして会えたのも、何かのご縁かもしれないですね。」

と答えると、驚いた様子でマックスに目をやった。マックスはぬいぐるみを抱きしめながら、唇をきつく結び、地面を見つめていた。ジェームスは優しく微笑むと、マックスの頭を再び帽子の上から強く撫で、ワゴンの持ち手を握りながら、

「マックス、レジーはしまわないで持ってるかい?」

と聞いた。

マックスは静かに頷き、ぬいぐるみを上着の首元から入れ、中からぬいぐるみの顔が覗く様に入れた。ジェームスは小さな肩をポンポンと触り、

「それではちょっとお借りしますね!」

とワゴンを押し始めた。

「どうぞどうぞ」

と返事をすると、ジャンポールも自分の車に向かった。マックスはちょこちょこと歩きながらジェームスの後をついて行った。

 夕飯時のカフェでは、たくさんの人が会話を楽しみながら食事をしていた。

その中でも一際目立つ大きな男が、豪快なジェスチャーと人懐っこい笑顔で、楽しそうに話す声が響いていた。

「いやあ!噂のプックちゃん!やっと会うことができまちたね!」

とフィリップが赤ちゃん言葉で、クロウディアさんに抱っこされているプックに話しかけると、

「フィリップさんこんばんは!あれ、皆さんお知り合いなのですか?」

と不思議そうな顔をして、ニナにを見た。ニナは笑いながら頷くと、

「実はフィリップさんはジャンポールの幼馴染なんです。」

といたずらっぽく明かした。

クロウディアさんは「そうなんですね!」とびっくりした顔でフィリップを見た。フィリップはプックに手を嗅がせながら上機嫌な様子で、

「こんばんは、ニナ、クロウディアさん。僕からすると、二人が一緒にいることの方がびっくりだけどね!」

と言うと、プックを優しく撫でた。

クロウディアさんはクスクス笑いながら、

「そうですよね。ニナさんに間違って声をかけてしまって、今に至ります!この展開は私もびっくりですから、フィリップさんはもっとですよね。」

と答えると、ニナも笑った。

「そうだ、ジャンポールにも会ったかい?僕の親友なんだよ。ここにプックちゃんも居るって聞いて、会いに来たんだけどさ。」

と店内を見てジャンポールを探すと、

クロウディアさんは頷き、

「ジャンポールさんにもお会いして、先程外に行かれましたよ。」

と言うと、ニナはフィリップに、

「荷物を置いたらすぐ戻ってくると思うわ。」

と言うと、にこっと笑った。

「フィリップさん、実は私、ニナさんにドレのことを色々聞いていただいて、今占いもしてもらったところなんです。」

と言うと、

フィリップは突然頭に手を置き、

「ああ!その手があったか!すっかり忘れていたよ!探しものはニナだ!何で思いつかなかったんだろう」

としまったという表情で言った。

ニナはフォローする様に、

「フィリップさん無理もないです!深刻な時に普通は占いなんて勧められないですもの。私も今日はいてもたってもいられなくて、何かできたらと思って、流れでこうなった訳ですし…!」

と言った。

フィリップは首を横に振り、

「いやいやニナ、君が適任だよ。身をもって僕は知っているんだから、それにクロウディアさんは友人だし、勧めるべきだったんだよ。」

と言うと、悔しそうな顔をした。ニナはフィリップの熱い思いに、首を振り恐縮している。

フィリップはそれに気づくこともなく、さらに続けた。

「僕は運命や奇跡は信じるけど、占いとか信じないタチでね、でもどうしても探したいものがあって、ニナの占いは街の皆から評判を聞いてたからさ、藁にもすがる思いで、大事な探し物を頼んだんだよ。」

と言うと深く頷き、少し間を作って含みを持たせた。

クロウディアさんは耐えきれず

「あの、それで探し物は見つかったのですか?」

と言うと、プックの背中をゆっくり撫でながら、ニナの表情を伺いつつ、フィリップを見た。

ニナはまだ間を置いて引っ張るフィリップに視線を送ると、フィリップはニヤッと得意げな顔をして、

「見つかったんだよ!何十年も見つからなかったのに、2日後に出てきたんだよ。びっくりしたね。今でも信じられない気持ちだよ。身近なところにあってね、あんなところに…!自力で見つけられなかったのが何だか悔しいけどね!」

と興奮気味に答えると豪快に笑った。

クロディアさんは「すごーい!」と驚きながら言うと、ニナはにっこり笑い、手帳を触りながら、

「すごいのは皆さんの思いの強さです。

これは占いというより、縁を引き寄せるきっかけ作りだと思っています。色々な事が起きて、ご本人の気づく力によって解決されていくので、思いの強さや対象との絆が関係していると思うんです。私はただ、祖母とお節介をしている感じです。」

と言ってフィリップを見て頷いた。

クロウディアさんは、机の上のドレの写真を見ながら、

「きっかけ作り…。わかる気がします。私も占いに頼ったのは初めてだったのですが、今日やってもらって、ニナさんのは占いというより、運命が動く感じがして、何でしょう、根拠はないのに勇気が湧いてきたんです。」

と言うと、ニナもフィリップもにっこり笑い、ニナはクロウディアさんに

「そう言ってもらえると私も救われます。」

と言って手帳をまた優しく触った。

プックは上目遣いで大人達を見つめたあと、フィリップにピーピー言って甘えたそうに動き始めた。クロウディアさんは

「あら!プックちゃんフィリップさんに抱っこして欲しいのかな?」

と言うと、

フィリップは嬉しそうに

「プックちゃん!おいでおいで!」

と待ってましたと言わんばかりに抱き上げた。

ニナは思い出したように、フィリップに湯たんぽを見せて、

「フィリップさん、サラからこれを頂きました!早速使ってます!」

と言うと、

「おお!よかった!今日は忙しくて行けなかったからね、娘に頼んでおいたんだよ。プックちゃん!早速使ってくれて嬉しいでちゅよ!」

と言いながら、フィリップはデレデレの様子でプックに頬擦りをした。

その様子をニナとクロウディアさんが微笑みながら見ていると、プックも嬉しそうに頬をペロッと舐めた。

「見たかい!?今舐めてくれたよ!プックちゃんありがとう!本当に可愛いなぁ!」

と嬉しそうにもう一度頬擦りをした。

ニナがハッとして

「あの、フィリップさ…」

と言いかけるとプックはまん丸な目をしてパクッと空を噛んだ。

「おや!?ひょっとして今、耳をちょっと噛もうとしたかな?ははは!やるなあ!」

と嬉しそうに笑って、頭を軽くツンツンした後優しく撫でた。

「あ、やっぱり…!ごめんなさい!プック、今のはいけません!」

とニナが言うと、

「ははは!今はなんでも噛みたい盛りだからねぇ。プックちゃん!赤ちゃんだもんね!やんちゃでちゅね!」

と言いながら、尚デレデレの様子だ。

「その甘噛み、実はジャンポールが頬擦りをすると、何故か耳をカプってするいたずらを覚えてしまって…ジャンポールが笑うから、何度もやって困ってるんです。でも、ふふ、まさかフィリップさんにまでやろうとするなんて!ごめんなさい、でも少しおかしくて…」

と言いながらニナは堪えられず笑った。クロウディアさんもつられて笑っていると、フィリップは照れながらも、

「こんなおチビさんに甘噛みされてもどうってことないよ!どれどれどんなもんかもう一度やってご覧!」

と言って再び頬擦りをした。

プックは口をギュッと閉じながらいたずらっぽく上目遣いをして、フィリップを見ている。

ニナはプックに

「ダメよ!プック悪い顔になってる!」

と言いながらプックの口元をムニっと手で軽くつまんだ。

「ははは!僕のせいでママに怒られちゃったね!ごめんごめん!」

とフィリップは謝りながらプックを撫でた。

プックはその手をペロペロ舐めて嬉しそうにしている。

ニナはやれやれと笑いながらプックを見た。

フィリップとプックの横顔を照らすツリーのイルミネーションの色が変わったことに気づき、窓の外を見た。

「まあ、綺麗。」

と思わず言葉が漏れると、クロウディアさんも窓の外を見た。

ホテルのツリーはライトアップが時間で変わる仕掛けがされていて、ツリーの周りには、特設されたテディベアやユニコーン、ギフトボックスなどの光るオブジェと、普段からあるベンチや花壇も光で縁取られ、ランダムに点滅する無数のライトがまるで天の川のように、キラキラと流れていた。クロウディアさんはふうっとため息をつくと、

「こんなに素敵なツリーがあったのに、私今日初めてちゃんと見ました。ドレがいないと、大好きなクリスマスもモノクロの世界に見えてしまって…」

と複雑な表情で言った。

ニナはクロウディアさんを見つめると、

「大切な存在が欠けてしまうと、見える景色も全く違ってしまうんですよね。早く会って無事を確かめたいですね。私も手がかりや情報を探します!」

と言うと、クロウディアさんは頷き、

「ニナさん、ありがとうございます。新聞記者の方に、誘拐されたのではと言われて、紙面にも誘拐と載ってから、誰か人が故意にやったことだったら…そう考えるともう、怖くて…。どうしていいのか分からなくて、冷静になれずにいました。でも、ドレのために今は強くなります。諦めません!」

と言うと深呼吸をし、まだ星の形がしっかり残ったカプチーノを一口飲んだ。カップの中を見ると、星が伸びて猫のように変化し、ドレの顔のように思えた。目を一旦閉じて、一呼吸置いてからしっかり開けると、不安をかき消すように飲み干した。

 フィリップはニナとクロウディアさんが話し始めた時に、プックを抱っこしながらゆっくりと、ツリーがよく見える大きな窓の前まで歩いて来ていた。外は時間と共に寒さが増し、より一層イルミネーションが鮮やかに見えた。

「プックちゃん、見えるかい?もし君があの子の生まれ変わりだったら、あの時のツリーを覚えてるかもしれないね。ほら見てご覧、あの時のリボンを飾ったんだよ。ジャンポールは気付くと思うかい?」

と言うと、プックはフィリップをじっと見つめ、顎をペロっと舐めた。フィリップは目を細めて愛しそうに頭を撫でると、再び外を見ながら、

「君のパパはまだかな?」

と呟いた。